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そまびとたちの奮闘記

NPO法人信州そまびとクラブ。
山仕事をしながら、
林業のこれからの姿を提起します。

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稲刈り

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 秋になると、日本中の田舎でソワソワする人たちの姿を見るようになります。「収穫」は、私たち日本人の一大イベント。佐久市内にある信州そまびとクラブの理事長宅でも、稲刈りが行われました。

 高度成長期の始まりの頃、まだ、私が育った神奈川県川崎市の工場地帯にも農地がけっこう残っており、田んぼの中の鎮守様では秋のお祭りが行われていました。子供ですから、お祭りは楽しいのはあたりまえですが、この年になり、百姓の知り合いを持つようになって、ようやくその意味を実感しました。

 お日様があり、水があり、大地があるということ。今日も健康でいられるということは、なんとありがたいことでしょう。田一面の黄金色を見ていると、自然にそんな感覚がこみ上げてきます。


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じいちゃんと孫。私たちが生きてゆくうえで重要なコミュニケーションが、実はこういう時に行われているように思うのです。 なぜなら…

 「隔世伝承」という言葉がありますね。核家族化があたりまえになった現代、この言葉のことをもう一度確認してみる必要があるように思うのです。一見、煩わしいものや、面倒くさいものを切り捨て、私たちはものごとの仕組みを「合理的」と形而下的に評価してきました。今、この国のあちこちで起こっているおかしな出来事の報に接するたびに、この国が、そのことへの反省の時期にある警鐘を聞いているような気がするのです。
 
 伝言ゲームを思い出してみましょう。このおもしろさは、どこかで伝言内容が突然変わってしまう点にあります。それでは、この伝言を確実に伝える必要がある場合には、どんな仕組みが必要になるでしょうか。伝える者が一人しかいないことの危うさを、このゲームは物語っているとも言えないでしょうか。私たちが生きるために大切なことであり、日々の暮らしの中で言葉だけに拠らずに伝えられる伝言の寸断が、ここ数十年間、日本のあちこちで普通に行われています。

 人間は感性と情報により生きています。そう考えると、情報伝達にバックアップがなくなることの恐ろしさが際立ってきませんか? 

コメント

Posted by: こーりきー   [ 2006年10月 2日 08:21 ]

技の伝承
文化風習の継続
どれも本当は一番大切なのに
アイヌは語りで受け継ぎ
我々には少なくとも文字があるのに・・
そのどれもが必要でないくらいに
急激に
生き方や過ごし方や流通経路が変わってしまっていますよね
やはり
人はヒトとして
けものとしての本来の生き方や
生活圏など
ここを一番見直さないといけないのでしょうね

素晴らしい文を有り難う(^^)

Posted by: yamanba   [ 2006年10月 2日 16:08 ]

手塩に掛けて1年、自然にも助けられて、漸く手にする恵み!
この有り難味は格別のもの。

都会では、欲しい時に欲しい物を手に入れたいという欲求が渦巻き、それを可能にするのがサービスと考える人々が次々に儲けの仕組みをつくる。
何もかも思い通りに手に入ると勘違いしちゃいないかな?

自然相手に暮らしている人達はそんなこと、とっくにご承知と思うけど。

Posted by: せんば   [ 2006年10月 3日 02:17 ]

ひととひととのつながり。
家族と家族のつながり。
いいものですね。

こういった風景が、
あの佐久近辺にはたくさんあるんだろうなと思います。

そんな中、あの道路開通工事、
やはり気になってしまいました。
長野県のHPにあった、
中部自動車道概要図、見ました。(HTMLタグわからないのですみません!)
http://www.pref.nagano.jp/doboku/douken/kousoku/015.htm
びっくりしました。
佐久から川上村までのど真ん中。


そこを出て行かれる地元の方の声が1番聞きたいのに、
県のよりよい地域振興のため・・という情報ならたくさんありました。
この地図を見ても、あの棚田の風景を削ってでも、
どうしても開通する必要がある場所には思えないです。


30年前の沖縄八重山諸島の西表島のように、
『ひとかネコか』という問題で道路工事が途中で終わったように、
『ひとか棚田か』ということにはなりませんかね・・。

Posted by: かなめ   [ 2006年10月 3日 16:09 ]

こーりきーさん 
この村の保育園に遊びに行くようになって、感じたのです。田舎の子供たちの雰囲気の違いを。そして、よくよく考えてみると、その伸び伸び感はどうも家庭環境にあるらしい…。

どこの家にも、じいちゃん、ばあちゃんが居るとは限りませんが、とにかくこの土地では全員が現役で、家族の中で何らかの役割をこなしながら暮らしています。第一次産業主体の世界には定年はありません。

そんなふうに考えながら、何度も、じいちゃん、ばあちゃんたちの孫たちと接するところを観察していましたら、確信しました「こういう育て方や伝え方は、親である自分では無理だな」と。

「家」に縛られるというのは、私のような根無し草から見ると、とてもエネルギーを必要とすることのように思えて、ちゃんと跡取りをしている人を見ると、それだけで立派だなと感じます。そういう人たちの「日常生活」という努力が、実はこの国の根本的な部分を支えているように思うのです。

Posted by: かなめ   [ 2006年10月 3日 18:45 ]

せんばさん コメントありがとうございます。

 景観を守る、という観点ではたいへんに残念なことに、道路の計画は順調に進んでいます。これまた残念なことに、世間の価値観は、山を切り崩し、コンクリートの構造物を築くことに多くの恵みを感じるようにできています。「株を買うなら、まずはセメント会社のものから入門すると良い」と世間では言われているそうですよ。

 とにかく少しずつ、変えていきましょう。

Posted by: やちよ   [ 2006年10月 3日 23:09 ]

佐久では稲刈りの時期ですね。我が家でも手植えをした田の稲刈りを今日から始めました。昔ながらの手刈りでね。少々腰にきています。
 刈っている最中にタニシを見つけて採集・・2~3日したらタニシ汁が食べられそうです。
せんばさん中部横断道が大沢も通るんですよ。先日ゆか山講座に来ていただいた道路に高架で横断します。

Posted by: せんば   [ 2006年10月 4日 15:34 ]

かなめさん、かなめさんもそんな村の方々と一緒に、
そまびと仕事や環境教育などいろいろ実践しながら生活している様子を見ていると
立派な”おじいちゃん”になれると思っております。


コンクリートづくめの暮らしと、山村の暮らしの違い、いったいどちらが心を豊かにする生活を送れるか・・、
”パパラギ”という、ある島の酋長が書いた本があるんですが、
その本が、決定的な違いをわかりやすく教えてくれています。
コンクリート愛好家、高層ビル愛好家、大規模道路工事愛好家の方々にぜひ読んでほしいです。


やちよさん、やはり大沢もですか・・・。
ゆか山講座の時、あれだけ熱心に財産区のことをお話されていたから、どれだけ胸を痛めてることかと心配しておりました。
あの分教所とあの村の風景(暮らし)は、大沢のひとたちが長年温めてきた大事な財産だと思います。
秋にもう一度訪ねてみたいと思っておりますのでまたお話お聞かせください。

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