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事業アイディア

森づくり

収穫の喜びをこの地域で味わいたい

(株)美都森林(島根県美都町(現・益田市))素材生産業

森林組合の合併を機に、元職員らが「地元で暮らしながら山から間伐材を生産したい」と設立した㈱美都森林。だから、同社のメインは、利用間伐という採算ギリギリの事業。若い社員がつくる丸太組工法の作業路は将来の基盤。高性能林業機械でコストダウンに挑戦する。

(株)美都森林

目次

森林組合の合併を背景に設立

「メイン巻いて」
 先山の無線の声で、スイングヤーダから伸びるワイヤーが、よりを戻しながら、枝葉の付いたままのヒノキをずり上げていく。丸太組工法で設けられた作業路の上まで引き上げられたヒノキは、ハーベスタで造材される。現場で作業している人たちは、皆若い。
 ここは、島根県美都町(現・益田市)の民有林。株式会社美都森林が行う利用間伐の現場である。

 利用間伐の作業システムは次のような流れ。
 ①丸太組工法で2~3m幅の作業路を開設
 ②本数で4割程度を定性間伐
 ③葉枯らし乾燥
 ④乾燥して軽くなった間伐材をスイングヤーダで作業路まで全木(枝葉を付けたまま)集材
 ⑤ハーベスタ(プロセッサとして利用)で枝払い、玉切りし造材
 ⑥フォワーダーで搬出
 利用間伐の現場を数カ所持って、作業が重ならないように人員が配置されている。

 平成10年9月、㈱美都森林は設立された。会社設立の背景には地元森林組合を含む7つの森林組合の合併があった。会社設立の中心メンバーは3人。うち2人は森林組合の元職員で、同社総本部長・土佐則幸さん(52)はその一人。
「合併する他の森林組合はどちらかというと、素材生産が不得手だった。私は新しく会社を興して、リスクはあるが機械を導入し、せっかく育っている美都町の木を間伐して生産したかった」

 社長となった農原勝弘さん(49)は素材生産業者として合併前の森林組合と関係があった。
「先行して農協が合併して、生まれ育った美都町の活力が失われていくこと対して、地域貢献性の高い林業会社をつくりたいと出資者のところを回った」と当時を振り返る。「株式会社」としてスタートさせるために、出資金は様々な立場の人たちから1700万円が集められた。

 平成10年9月の森林組合の合併と同時に、設立メンバーの廣兼重継さん(取締役専務/53)が退職し、最初は一人で会社の登記や事業を切り盛りした。
「設立前から新会社の想いを伝えていた組織がすぐに仕事を出してくれました。社員がいないので全部外注請負に仕事を出すことになりましたが、だから最初の年はあまり赤字を作らなかった(笑)」

先山で葉枯らし乾燥をかけた丸太にワイヤーを掛け、集材先山で葉枯らし乾燥をかけた丸太にワイヤーを掛け、集材

手前のスイングヤーダで集材し、ハーベスタ(プロセッサとして使用)で造材手前のスイングヤーダで集材し、ハーベスタ(プロセッサとして使用)で造材

作業路上に集積された材をフォワーダで土場まで搬出する作業路上に集積された材をフォワーダで土場まで搬出する

間伐で残る作業路が説得力に

 同社の事業は、利用間伐が5割強、造林事業が2割(60~75歳の臨時雇用の班が担当)、電力関係(接近木の伐採等)が1割、その他に土木建築現場の伐採・搬出を行う。

 森林所有者と森林施業委託契約(5年間)を結び、町長の認定を受けた後、森林施業計画を立てて間伐を実行することで、同社が補助金を申請している。契約を結んでいる面積は現在は80haほどになる。
 「所有者の方とは事前の話し合いで、『間伐の負担金は無しです。その代わり間伐材はこちらの自由にさせてください。搬出のために作業路を開設しますので、間伐後には道が残ります』と話すことで説得力が生まれます」と土佐さん。

 利用間伐で威力を発揮しているのが、バケットにグラップル機能が付いた小型多機能機械。道づくりの際に伐根を抜くことにも、また集材の際にはスイングヤーダとしても使える。もう一台がハーベスタ。こちらは外国製のハーベスタのヘッドにあったベースマシンをメーカーとともに開発した。
 会社創設初期にこれらの機械を導入できたのは、社会保険労務士のアドバイスがあったから。厚生労働省から同社の雇用創出に対して、人材育成や林業機械配備の面で多くの支援を受けている。

本数率にしておおよそ4割で利用間伐されている本数率にしておおよそ4割で利用間伐されている

現場の山(左上)に向かって新規に開設した丸太組の作業路。取り付き部分はかなりの急勾配現場の山(左上)に向かって新規に開設した丸太組の作業路。
取り付き部分はかなりの急勾配

本作業路の上で造材される。間伐後に残るこの道が次回間伐の基盤となる作業路の上で造材される。
間伐後に残るこの道が次回間伐の基盤となる

就林20歳代の気持ち、60歳代の想い

 山の現場では8人が働く。班長の斎藤久義さん(63)の他は、ほとんどが同社で林業の仕事を体得した。斎藤さんは合併前の森林組合の林産班を率いていた。会社が出来た翌年に退職し、林業経験のない新人3人を引き連れて入社。うち2人は、ご自身の息子たち。

 長男・輝雄さん(32)は、
「父が新しい林業の会社が出来るという話を持ってきた時に、自分は前の会社でこれから何十年とこのままの仕事をするのかと真剣に考えた。これから山をやる人が減っていくので、新しくできる会社の当初から本気でやってみたいと思い入りました。自分の技量を高めて何十年後かに手に職を付けて誇れるようになりたい」と話す。

 山根利昭さん(27)は、
「美都で生まれたので美都で何か仕事をやりたいというのがありました。会社が一からスタートすると聞いて自分は21歳でしたが、21からでも遅くはないと思って。現場ごとに景色が変わる、いろいろな場所で仕事が出来ると聞いて決めました」。

 斎藤さんの次男・俊二さん(29)は、
「前の会社は残業が多くて、徹夜もあった。ちょうど結婚した事もあって残業は大変。山は森林組合のバイトに行ったことがあり、いたしい(つらい)仕事だと思っていましたが、ただいくらいたしくても8時から5時までで終わりますから、それからは仕事を切り離した生活スタイルができることも魅力だった」と話す。

 若い現場の7人を指導する斎藤久義さんは、
「やるならば(現場の仕事の)最後に新しい会社で若い人と一緒になって美都町の現場で、若い人を育てて働ければと思っていた。
 僕らが始めた頃は、『見て取れ』と先輩方から言われて、やり方が悪いと木を投げつけられた。それでは付いてきてくれる人がいない。教えはじめは、若い人は細い木もものすごく苦労して伐っていたのが、大きい木まで伐れるようになっていく。教えてそれだけ成長してくれたということはうれしい」。

この機械は集材ではスイングヤーダのアームとなり、作業路開設時にヘッドのグラップル付きバケットが威力を発揮。斎藤久義さん(右)が若い社員を現場で指導する
この機械は集材ではスイングヤーダのアームとなり、
作業路開設時にヘッドのグラップル付きバケットが威力を発揮。
斎藤久義さん(右)が若い社員を現場で指導する

「地域愛」と利用間伐

 取材中、「地域愛」という言葉を何度も耳にした。
 廣兼さんは、
「この町に住んでいるのは何千人。だから何とかやらなければという気持ちになるんじゃないでしょうか。何十万人住んでいるのではないんですから」と。

 また、土佐さんは、
「美都町に住んでいる以上、自分たちが知恵を出さないと。でも独りよがりじゃだめ。仲間がいてそれをまとめ上げて事業化しなければ」と話し、続けた。
「作業方法、機械化、山主さんとの信頼関係のなかで勉強して、間伐を木の売り上げでやりますよという間伐林業が確立すれば、半永久的に仕事がある。間伐したら木は太っていくわけですから。生産活動を行うことで、育てた所有者も間伐を行う私たちも収穫の喜びがある。
 美都町に全く異質のもので生き残りをかけるのではなくて、我々の林業とか農業のような生産活動で、付加価値を付けながらこの土地でものが売れていくことがいい」

(全国林業改良普及協会 月刊『林業新知識』2004年8月号より。記事データは掲載当時のものです。)
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