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トップページ > 農山村の背景情報 > 山で生きる・森をつなぐ仕事<part.4>

農山村の背景情報

08_どこで伐っても出せるよ・渡辺甲子雄さん(林業/福島県古殿町)

20081110_4.jpg 渡辺さんの所有山林約25町歩には、満遍なく作業道が入っている。林内作業車の上から眺める道は、至る所で分岐して四方八方に伸びる。作業車でなければ通れないような傾斜は、岩の多い土地柄やむを得ない選択だ。「戦後の非常時に立木を売り払った跡地だったから、受け継いだ時はほとんど裸の山だった」と渡辺さん。母方の祖父に指導を受けながら、自力で木を植える年月が続く。それがようやく間伐期に入った頃の昭和55年、大雪害が起きた。甲子雄さんの山も、激甚災害に指定される大損害を受けた。林業に意欲を失う農林家も多かったが、甲子雄さんの反応は違った。「当時主流の実生苗は雪害に弱いと言われてたんだが、やっぱりと思ったね」。
 挿し木苗を育てるところから、渡辺さんの山造り再出発が始まる。県の林業試験場に通い、また各地の先進林業地に足を運んでは、性質の良い木の穂を得る。自分の山に合う苗を見つけるために、見本林を作りながら再造林を行った。すでに材価は下がり始めていたが、山が好きだという一念で山に通った。「当時経営していた養豚業が順調だったから、その稼ぎを山に回したよ」と甲子雄さん。
 苦労して育てた木だからこそ、なるべく一本一本を生かしたい。その気持ちが、積極的な作業道開設にも繋がっている。持ち山がほぼ一カ所にまとまっているのも幸いした。町内でいち早く林内作業車を導入し、長伐期大径木生産に備えて、将来どこで伐っても出せるような路線網を概ね完成させた。
 町内の有志と始めた林研グループ「天しぼ研究会」では、創立以来20年以上会長を務めている。個人的にも「アズキ絞り」という天然絞の品種も植えたし、青森ヒバも最近始めた。大好きな山の価値を、少しでも高めたい思いが、様々な品種の研究に向かわせる。「まだまだやりたいことが多くて」と甲子雄さん。愛機の林内作業車も休むヒマはなさそうだ。
(『林業新知識』2007年9月号より/絵と文・長野亮之介)

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