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インタビュー「先人に学ぶ」

Iターン仲間と林業会社を設立

今井保隆さん(有)天竜フォレスター代表(静岡県天竜市)

森林組合にはIターンの先輩が多かった

 体を動かすことが好きだったし、林学へ進んだこともあって山は嫌いではなかった。就職は、山の現場で働きたいと思っていました。そんなに高い志があったわけではないんです。
就職先を先生や知り合いにも聞いてみたんですが、当時は受け入れ先が全然なかったですね。よくこう言われました。「若い人が来てくれるのはありがたいけど、どうやって対応していいかわからない」、「来てくれてもいいけど、給料は払えない」。受け入れ態勢を整えていたのは、龍山村森林組合(静岡県)くらいだったと思いますよ。

 そこで、大学の先生から話を通してもらって、学生時代の友人と3人で一緒に来ました。その中の1人は、今も一緒に働いています。もう1人は、実家で林業をやっているので、家業を継ぐため故郷へ帰りました。

 龍山村森林組合には、私が入る前からIターンの人は多かったですよ。新人を集めて教え込む「指導班」があって、植え付けや下刈りなど、造林を3年やったら林産(伐採して搬出する)へ、という仕組みができあがっていました。当時としては革新的だと思います。だから、先輩も多かったんでしょう。
 仕事としての林業は、もちろん初めてでした。最初は、言われたことをやるだけで必死です。何しろ、言われたことができないんですから。言われたことをできるようになるまで1、2年はかかりましたね。とにかく早く追いつく、ということしか考えられませんでした。
 こちらへ来た時、この仕事を一生やろうとは思っていなかったんです。3年やって駄目なら仕方ないと思っていました。気楽な感じで来てしまった。気の抜き方が良かったのかもしれません。4年目以降からですよ、多少余裕が出てきたのは。

 仕事は、やっぱりきつかったですよ。最初の1年間は刈払機を使わせてもらえず、下刈りは全部カマでした。研ぎ方も刃の切れ味も体で覚えろ、と。夏の暑さもありましたが、トビで丸太を動かしたり、若かったんですけど体力的にきつかったです。
 技術は基本的に、見て盗んで、でしたね。ただ恵まれていたのは、班長という指導者がきちんといたことです。寡黙で喋ることは得意ではないんですが、聞けばきちんと教えてくれました。今から思えば、申し訳ないくらい、しつこく聞いていたと思います。最初は分からないことだらけでしたから。とにかく、できないですからね。同じように動いているつもりでも、仕事量は半分以下、とかね。若いからがむしゃらに動くんだけど、班長には追いつかない。「どこが違うんだろう」と。<

 最初は「こうじゃない」と丁寧に説明してくれますが、何度言われてもできなければ、向こうも人間ですから怒りますよ。よく怒られもしましたが、きちんと教えてくれましたので、教わることに関して不満はなかったです。寮がきちんとあったので、帰ってから先輩にも聞けましたし。
 私たちが入った年は、寮が新築された年で、一番いい時期に入ったと思います。先輩が味わった苦労がなかったんですから。寮には10人以上、多い時では20人以上の寮生がいました。地元の同世代の人も、よく遊びに来ていましたよ。寮母さんもいて、ご飯もついた。環境としては、すごく恵まれていましたね。家を借りて自炊していたら、3年ともたなかったかも、と今でも思います。

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