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インタビュー「先人に学ぶ」

山里に生きる

山里に暮らす自信と誇り

栗田和則さん 暮らし考房(山形県金山町) 

自創自給の暮らしへ

 私の住む金山町は山形県の内陸部、北のはずれに位置する。古くからスギの林業地として知られ、近年では日本で最初に情報公開制度を取り入れた町としても知られる。今は、切り妻に白壁、スギ板張りの金山型住宅に象徴される街並づくりを進める町として、旅人を迎える。
 私のむら、杉沢は金山町の中で最も山奥の小さな集落である。奥羽山脈の神室山系から流れ出る一本の川沿い二・五キロにわたって一三戸が点在する。自然の恵みは豊かであるが、毎年冬には二メートルの積雪に覆われる。私の家は最も奥まったむらの行き止まりにある。
 私は一九四四年、栗田五郎左衛門家の九代目として生まれた。中学を卒業すると定時制高校に通いながら農家の長男として、当たり前のこととして家業の農林業に就いた。太平洋戦争で右足大腿部切断の戦傷を負った父。県南の生まれで、東京での陸軍の看護婦を辞して父についてきた母。老いた祖父。当然私の一家を支える責任は重くなった。
 二〇代後半、農家の自主的なグループ活動を通じて、農山漁村文化協会を知った。そして、故守田志郎氏と出会った。守田氏は東北の農家の集まりで「農業は農業である」と語り、耕すことの意味や、農業近代化論のあやうさを教えてくれた。何度か私の家を訪れ、著書『むらの生活誌』(現在は農山漁村文化協会で発行)では、私の家族をモデルに家族やむらにおける“座”を論じてくれた。氏と出会ったことで、私は儲かる農業の呪縛から開放され、豊かに暮らす農林業を目指すようになった。同時にこの小さな山里に生きる心が定まった。
 それからは自分の食べるものをつくること、仕事を楽しくすることに心した。田んぼに行ってもそこにはイチゴやトマトやプラムが実る。きのこの発生舎にはイスとテーブルがあって、本が読め、コーヒーが飲める。山にはスギの耐雪性試験林や体験植樹の林、尾根の広葉樹の森をめぐる遊びの森も設けた。藍を栽培し、本藍染めをして身に纏い、自山のスギを切り出してはログハウスもつくる。そんな暮らしを「自創自給」と名付けた。
 いま、自給の延長として全国の友人と産物交換をしている。冬の杉沢からこだわりの熟成なめこセットを送れば、南は熊本のデコポン、北は北海道のタマネギと旬の一級の味が里山にいて味わえる。物の交換は心も一緒に運ぶ。その関係を楽しんでいる。
 もう一つのこだわりは、自分の本当にしたいことができる生き方を「自悠人」と名付けて大事にしている。農林業を自営することは、経営はもとより、自分の時間を自分で生きられること。自営だからこそ一人の人間としての自分らしい生き方を大事にしたい。それは、家族それぞれもまた自分らしく生きること。妻は次女の小学校の夏休みの自由研究を機に草木染めにのめり込んだ。母はウチョウランやエビネの山野草、そしてプランターの花を楽しみ、父は三つの池のイワナやコイ、それに庭木を自分のものとする。農林業に就いて五年の息子もまた、チェンーソーアートに自分の世界をつくりつつある。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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