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インタビュー「先人に学ぶ」

山里に生きる

山里に暮らす自信と誇り

栗田和則さん 暮らし考房(山形県金山町)

 

内山節さんの哲学を学ぶむら

 一九八八年、山里での暮らしが形になりつつあった時、著書で内山節さんを知った。そして続けていた仙台での勉強会の講師に迎えた。内山さんには、労働の本質や個の確立についてお話いただいた(この勉強会は私が事務局を担い、三七人の世話人で今も続いている)。内山さんとの出会いは、里山に暮らす私の自然とのかかわり方や都市との関係を意識し続ける契機となった。 

 一九九〇年代に入って、日本経済のバブルがはじけ始めた。米の減反は続き、木材価格の下落は加速した。山村崩壊はメデアをにぎわした。杉沢でもまた三戸がむらを去っていった。暗雲が広がってゆく山村。崩れていく足元に、もう一度、山村の豊かさとは何かを問い直さなければと考えた。 

 今日のどれだけお金が取れるかを競うかぎり、山村はいつも遅れた社会になる。お金ではなく、暮らしそのものに視点をあてるなら山村の暮らしは貧しくはない。「豊かな暮らしを問い、創造し、伝えていく活動」をしよう。そんな思いを込めて、一九九三年、小さなログハウスに「暮らし考房」の看板を掲げた。

 

 暮らし考房の活動は人を招いて、地域の人と話をする「出会いふれあい語る会」から始まった。やがて、自創自給の暮らしにふれたいという若者や、本藍染め、農林業体験を希望する旅人の出入りの場となった。一足早い暮らしの公開や民泊での旅人の受け入れを、時代は、日本におけるグリーンツーリズムの先駆け、あるいは農家のライフスタイルの例と扱った。そしてたちまち千人を超える人の出入りになった。

 

 暮らし考房を始めた時「むらで学びたいのは内山節さんしかいない」と心に決めた。おそるおそる「杉沢でも先生の話をやりたい」と切り出すと、あっさりと希望は受け入れられた。先生によって「里山フォーラムinかねやま」と名付けられたこの集まりは、暮らし考房と村の青年たちの実行委員会、内山先生との共催で一一回を重ねた。里山フォーラムは山村の小さな集落で取り組むめずらしい例、あるいは哲学の連続講座として注目された。

 

 内山哲学を学び、そこに集まってくる人々との交流は確実にむら人を変えた。

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