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そまびとたちの奮闘記

NPO法人信州そまびとクラブ。
山仕事をしながら、
林業のこれからの姿を提起します。

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やれやれの続編

 なんとか命だけでも、と思っていた傷ついたオオバンでしたが、昨日朝、残念ながら死んでしまいました。
 こういう場面に遭遇するたびに、手当てのことや、扱いのことにいろいろと悔やむのですが、今回埋葬しながら考えたのは「自分は何をやっているだろう?」ということでした。


 野生鳥獣は、人に保護されるほどの痛手を負った段階で、それはもう野生としては死んだも同然です。ですから、今回のように拾ってきて、あれこれ手当てをして復帰を目指すのは、もはや私の勝手。言ってみれば趣味の領域であると(それは、逆に拾われた生き物にとっては迷惑かもしれません)考えてやっていることです。それでもやはり、死んでしまうとむなしい...。うまく言葉になりませんが、釈然としない何かがあるのです。
 もう少し、考えてみよう。

コメント

Posted by: somanba   [ 2009年11月30日 09:58 ]

そう、まさに野生の生き物としては死んだも同然なのです。
しかしそこでめぐり会ってしまった運命。命を繋ぎ留めようとする行為と気持ちは共通の言語を持たないもの同士であっても、必ず伝わるものなのです。
温もりが失われる時はやり切れませんね。
また、本来野生の世界ではこの怪我は起こりえなかったのかも知れません。仮に意図したものでは無くても、人為的要素で無為に失われる野生の命のなんと多いことでしょうか。

Posted by: かなめ   [ 2009年12月 2日 05:49 ]

 命を繋ぎ留めようとする行為と気持ちが、共通の言語を
持たないもの同士であっても伝わる。

 
 そのように信じたいと思います。手を出すことで、かえって
彼らに迷惑をかけていはしないか。そう考えながらも、ごく稀に
野生復帰ができたときには、これでたぶん良いのだろうと感じます。
そしておっしゃるとおり、本来失われることのなかったであろう
野生の命が、人工物や人の行いの影響でかなり失われることを
考えると、自己満足と覚悟しつつも何かしなければならないのだと
改めて思いました。


 この冬、諏訪湖のオオワシがやってくると、野生復帰から15年目
くらいになります。。そういう奇跡があることの意味を噛締めながら…。

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そまびとたちの奮闘記 「そまびと」とは「きこり」のこと。現代のそまびと=技能職員たちが起業し、模索しはじめました。

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